2012年6月16日〜30日
6月16日  カーク船長 〔未出〕

「ケイレブと話をさせてもらってもいいですか」

 クリスが頼むと、主人は犬を呼んだ。

 家屋から上半身裸の若者が出てくる。
 おれは不意にキュンとせつなくなった。

 カシミールを見たように思った。ピチピチのからだ。かわいいスマイル。
 だが、犬は軍隊に入ったばかりのような坊主頭で、明るい茶色の目をしていた。

「なに? ボス」

「坊や。あの日、カシミールが来た時、うちのまわりに誰かいたかね」

「いないよ」

 クリスが代わってたずねる。

「その二、三日前でもいい。例えば、インド人とか?」


6月17日 カーク船長 〔未出〕

 犬は眉をひそめ、

「いなかったとと思いますけど」

「様子はふつう?」

「はい」

「じゃ、カシミールはきみに何か愚痴を言ってなかった? 誰かにしつこくされているというような」

 犬はきれいな肩をすくめた。

「何話したの?」

「いつもの。CFに行け、ってなこと」

「CFに行ってないのか」

 主人が苦笑した。

「この子は地下でつらい目に遭いましてね。男恐怖症で、ドムスから出ないんですよ」

 犬は口をとがらせ

「ここは危険なんです。ちょっと出たら、へんな兵隊にからまれるし、もうたくさんですよ」


6月18日 カーク船長 〔未出〕

 以前、ハスターティに検査といって全裸にされ、それきり懲りたらしい。
 クリスはじっと彼を見つめた。

「カシミールから、へんな兵隊がつけてきたとか、聞いたことない?」

「それはないです」

「へんな運転手」

「いいえ」

「ニコルソン、あるいはヤングという名前に、聞き覚えは?」

「……ないなあ。あのひと、あまり他所のお宅について話さないですよ」

 そりゃそうだ。ニーノじゃあるまいし。
 それ以上のことはわからず、おれたちはテンプル邸を出た。

 次に目撃者、ハスターティの詰め所に向かう。


6月19日 カーク船長 〔未出〕

 詰め所は地上にある。
 この季節、地中海の日差しは強烈なので、サングラスしていても石畳の照り返しがまぶしい。ここに必要なのは詰め所じゃなくて、ジューススタンドだ。

「地下を行こうよ」

「カシミールも上を歩いた。まわりを見てろ」

 シエスタの時間だ。猫も歩いてやしない。だが、詰め所はさすがに営業していた。入ると、ハスターティが眼をあげた。

「ブルース・ブラザーズ? MIB?」

 見るとクリスもサングラスをしていた。おれは言った。

「政府から来た。まずアイスコーヒーを出せ」


6月20日 カーク船長 〔未出〕
 
 クリスはカシミールの写真を見せた。

「たしかに彼?」

 ああ、と肉づきのいい色黒の兵士がそっけなく言った。軍服むっちり。軍服よりレイとアロハが似合いそう。

「本当に? サングラスかけた別の男じゃなく」

「サングラスはしてなかったし、うちのやつだ。間違うわきゃねえ」

「え?」

 そうだ。カシミールはハスターティの出だった。このデクリアだったらしい。

「何か話したかい?」

「いや、あの日は寄らずに行ったよ」

 ああ、お忙しいからな、と別の兵士が繰り返す。少し皮肉を含んだ感じがした。


6月21日 カーク船長 〔未出〕

 クリスがカシミールの後に不審な人物がいなかったか、たずねると、みな見ていないと言った。というより、あまり覚えてないみたい。

「この時間、歩いているのはアクトーレスか掃除スタッフくらいさ」

 おれは部屋の奥を眺めていた。

「あっちはモニター室?」

 ゲーム機をいじっていたモヒカンが顔もあげずに、そうだ、と答える。あの日の映像が見えるはずだ。覗こうとしたら、鋭く止められた。

「この先は権限がない者は入れない」

「カシミールの映像見れない?」

「ヤヌスに提出してある」


6月22日 カーク船長 〔未出〕

 クリスは別の質問をした。

「きみらはそこらで犬を素っ裸にして検査したりするのかい?」

 その時、にわかに部屋の空気が濁った感じがした。

「するさ」

 モヒカンの兵士がはじめて青い目をあげる。意外にハンサム。

「たまに発信機のことを知っている犬がいる。ほじくりだした跡がないか調べている」

「そういう犬はいた?」

「今のところない」

 最初のハワイアンがとりなすように言った。

「おれたちとおまえらの仕事は違う。べつに色気でやってんじゃないんだ。なんのトラブルもないぜ。カシミールともな」


6月23日 カーク船長 〔未出〕

 ハスターティの詰め所を出て、再び炎天の地上を歩く。
 
 テンプル邸から、ニコルソン邸まで約10分。カシミールが卵ならじゅうぶん目玉焼きになっている。そして、見事に通行人はいない。おれはネクタイをゆるめた。

「ご近所の家から犯人が飛び出してきたのかな」

「そいつは少なくとも犬じゃないな」

 ヤヌスの調べで、その時刻、付近に犬および客、スタッフはいなかったことがわかっている。犬は発信機、客とスタッフは携帯電話の追跡だ。だが、携帯を持ってなければ追跡はできない。


6月24日 カーク船長 〔未出〕

 帰りのバスの中、おれはなかば居眠りしつつ、クリスの声を聞いていた。

「……カシミールはなぜか暑い地上を歩いた。地下を通りたくない理由があった。敵か。しかし、ハスターティたちは誰も見ていない。そして、むかしの仲間が消えたのに、連中の態度は奇妙だ。ニコルソン家の犬は、カシミールが電話をかけたとごまかした。追求すると、家捜ししろと開きなおった。ほかに別宅があるのか。そして、あの家には以前、ヤングが入り込んでいる」

 ……ご主人様はわかりましたか?



6月25日 カーク船長 〔未出〕

「おはよう」

 と言っても、カシミールの姿がないのがさびしい。
 もう五日、彼を見ていない。主なきデスクは沈黙している。

 さびしい。ラインハルトもきれいだが、やはりカシミールもいないと元気がでない。早く会いたい。抱きしめたい。

 思いはこんなにくるしく燃えているのに、朝から犬のトイレトレーニングにつきあわなきゃならない。なんか間違ってるおれの人生。

(アクトーレスやめてヤヌスになろうかな)

 そう思った時だった。クリスがついに手がかりを得た。

「ニコルソン宅へいくぞ」


6月26日 カーク船長 〔未出〕

 ニコルソン邸へ向かう間、おどろくべきことを聞いた。

「数週間前、ニコルソンはウィッグを買っているんだ。金髪の、ロングヘアの!」

 かつら? あの人魚、かつらだったのか。
 クリスはじれったそうに言った。

「最初の日、メリルはお前に抱きついてきたな。1、2時間前に十字架に貼り付けられていた人間があんなことできるか?」

 はっとした。
 腕で体重を吊ると、犬はしばらく腕を動かせないし、ひどく痛がる。

「つまり、十字架の犬はメリルじゃない」

 ……ということは。あの金髪は。


6月27日 カーク船長 〔未出〕

金髪を振り乱し、十字架でもがいていたのは――。

 おれは思い出し、うろたえた。そうだ。淫乱メリルがあんなにイヤがるわけがない。最初の散歩だって、おれが近づいたら、コガネ虫みたいに丸まって震えていた。

 ばかな。メリルは成犬なのだ。
 あれは、あの金髪の下でパニックに陥っていたのは――。

(なんてこった。おれは目の前で――。カシミール、すまん)

 おれは怒りに燃えて、ニコルソン邸前に降り立った。
 だが、腰がのびない。おじぎしてしまう。クリスがおれの股間を見て唸った。


6月28日 カーク船長 〔未出〕

 ニコルソン家の犬はなかなか中へ入れなかった。が、ウィッグのことを言うと観念したようだ。

「誤解があるようです。わたしたちはカシミールを誘拐したりしていませんよ」

 メガネ犬は押しとどめたが、おれはどやしつけた。

「おまえらはおれたちをコケにしやがったんだ。目の前で、あいつをいたぶって!」

 思えばあやしいことだらけだった。カシミールがかけてない電話をかけたと言ったり、戸締りを厳重にしているといいながら肝心のカメラははずしたり。

「カシミールを出せ! 今すぐに!」


6月29日 カーク船長 〔未出〕

 その時、主人のニコルソンがやっと出てきた。ドラキュラのような顔色の悪さだ。

「アクトーレスはこの家にはいません」

「じゃ、どこにいる」

「存じません。わたしどもは関わっておりません」

「じゃ、ハスターティを呼ぶ」

 ニコルソンは沈鬱に目を伏せただけだった。おれがハスターティに電話をかけていると、クリスが「待て」と止めた。

 彼は何かに気づいたように呆然としていた。息をつめ、ニコルソンを見ていた。

「……いい。おれの勘違いだった」


6月30日 カーク船長 〔未出〕

 クリスは「帰ろう」と言った。おれには何が何やらわからない。

「でも、カシミールは?」

「ここにはいない。間違えた」

 クリスはニコルソンに失礼を詫びた。ニコルソンは青い顔をして答えない。だが、クリスが

「最後に握手を」

 と手をのばすと、力なく手を差し出した。すぐに手を引き、逃げるように部屋を出て言った。

 なんじゃこりゃ?! 
 クリスは外で大きなため息をついた。

「やつの手、ガサガサしてた」

「?」

「犬の手だった」

 いぬ? ニコルソンの手が? ええ?


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